”人の生きる”を共に話し合いたいのです
人間の利便性をもたらし、生活の価値観までもおおきく変える暮らしの変革、その凄まじいイノベーションを、今まさに我々は目の当たりにしているわけです。
このイノベーションを恩恵と考え対応した中で暮らしている限りは、距離や時間をまさに超越して、世界の誰とでもほぼ簡単に連絡が取り合え、メタバースによってまさに臨場感のある交流だって可能になってきました。
あらゆることが便利になんでもできること、
それは、便利さの享受だけのものになるか、あるいはインタラクティブが当然の社会において、自己発信力が持てるかということにもなります。
例えば、現在のZ世代は自己発信能力が強いです。それは、SDGs、LGBTQ、#MeToo などの社会的課題の意識の中に社会があり活動があります。YouTubeやTikTokなどデジタルネーティブな世代ですから簡単に編集発信能力をもち、炎上ケアのマナー感覚を持っています。
例えば、テニスプレイヤーの大坂なおみ選手、超一流のアスリートであることは自明ですが、その上、意志を貫く力強さ、ウィットさ、その発信力、思いやり、謙虚さ、それにおしゃれ、世界中のZ世代に絶大の人気があるわけです。
しかし、この環境に40代からの人間はそう簡単にはついていけません。
まして私のような70代世代は、例えば、いまだに選択的夫婦別姓制度ですら理解できない議員がいるくらいですから。この刷り込まれた家長制意識と自立家族観の本質の議論のしようがない制度なる根本次元のギャップですから。
それは逆に言えば簡単に自分の志のような生き方を諦めることにもなります。
可能なことが目の前に現れると、暮らしの中の自分の志すこと、あるいはミッションと言っても良いかもしれませんが頑張ろうと積み重ねてきたこと、そんな自分の希望を諦めることでもあると思いませんか?
我々の暮らしにとってイノベーションが全てを解決してくれる訳ではありません。
我々には、人それぞれの人生観があり、社会観があります。百人百様の価値観があり、それに根ざしたミッションが存在します。
100年ライフを生きていく上で、AIが労働を担う時代において人生の価値は技術方法論だけではなく人たりうる生き方、思考に根ざしたものでなければならないでしょう。
そこには社会の幸せを組み入れたサスティナブルでエシカルな構想を持たなければならないと考えます。
世界の多様性の中で同質なものと異質なものから学ぶことは視野を広げ、新たな広がりのある学びの社会を創れると考えます。
私はこれが自分への志であり使命感でもあるものがミッションだと思いますし、そのことを理解することがヒューマンリテラシーだとも言えます。
これがAIとの大きな違いではないでしょうか?
オードリータン氏が述べておられるように、AIは人間に対して補助でなければならないと言っておわれることはそういうことだと私は思います。
そうでなければ、このイノベーションから取り残される人、技術革新の恩恵に浴さなければ不幸になるということになります。