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With CORONAの中のしあわせを!

2022.02.11Posted by FOUNDER 市邊

With Corona の時代のしあわせを考える人生70年をゆうに超えての生活をさせていただいてきたのですが、まさか人生の後半になって、こんな想像だにしなかった体験をするとは思わなかった。
アロマセラピーを教えてきて、ペストやコレラのパンデミックを歴史の授業で教えてきました。
そして、農地改革やルネッサンス、そして18世紀後半に始まったイギリスの産業革命に至るまですべての次の世界の伏線には必ずパンデミックが存在していることを話してきて、原因と結果から学ばないと、なぜ歴史を学ぶかという意義がない、と話してきました。

しかし、歴史で起きたことは結果から簡単に言えます。
しかし、今、その渦中にいてどれだけのことが言えるのだろうかと考えてみました。
ところで、世界的な観光都市である京都もご多分に漏れずイケイケだった産業は棲息吐息です。京都の中心街も夜9時を過ぎると突然に閑散としてきます・・・我が町は大丈夫なのだろうか!と心配になります。
しかし、パンデミックに限らず、人間一人の運命など、世界の気まぐれな流れの中で考えると大いに変化に富んだものだったと思います。まさか、年に何度もパリに行くなどとは全く思っていなかった。
そもそも、大学で電子工学を専攻した人間が突然に家業を継ぐとも思わなかった。
そして、奇跡のような偶然でアロマセラピーの世界に入ることになり、アロマの協会の役員などのなり、しかも国際委員長など仰せ付かるなどとは全く思わなかった。
私の様に、人さまの恩恵とそのご縁と運だけで生きてきた人間にとっては今だに自分自身の生き方すらどの様な生き方なのか全く予想がつかない。この歳にしてです。
いかにいい加減で情けないかとも言えますが、受け入れて進むしかありません。
ただただ、本当に感謝する罰当たりな人生なのは事実です。ただ、光栄に思い前向きに少しは努力して生きていかねばと思っています。(その割には不真面目ですが)
ともかく、今回のような天変の極まりのない時代に生きることは、必ずしも努力が報われるとは限りません。
どちらかというと悲劇の顛末を避けられないかもしれないということを覚悟して生きる必要があると言えます。

何が言いたいかというと、自分の身に何が降り掛かかってきても、すなおにそれを受け入れる準備と覚悟だけはしなければならないということだと思います。
しかし、決して悲観的になれというわけではありません。その覚悟を持って、人生に感謝を持て能動的に生きることが必要だと考えています。
第一、考え考えぬいて、そしてしたことでも、また、家族を守ろうと思って安全な場所に移住したとしても、果たしてそれが天変地異から逃れられ安全なのか保証の限りではないのです。
そこで、われわれは、自分に悲劇が起きたとしても人生とはそんなものだ、と受け入れる覚悟を持たないとならないということだと思うのです。
我々は天変地異は起こるのが常だと考えて行動して、いつも取り組み、たとえ報われなかったとしても、やはりなお一層改善して前に進むことに努力を惜しまずに取り組む能動性が必要だと思います。
私はスポーツはテニスの世界4大大会か、ほぼ毎日の早朝のBSでMLBしか観ないのです。
なぜかというと、テニスでもMLBでも、たとえば、大リーガーを見ているとひたすら挑戦し続けている、絶対にあきらめないプレイが挑戦的で超能動的な人間性を垣間見ることができるからです。
私は特に、ダルビッシュ・ユウ投手が大好きです。普段、非常にユーモアがあって奢らず、しかも冷静で素直に現状を受け入れる発言から来る人間味に溢れていながらのレジリエンスにいつも学んでいます。
「常に今日と同じでない、より良い明日を迎るために努力し続けている」という様なことを話していた彼からいつもひたむきさを学んでいます。
自分の持つ能動的でひたむきになれることを学びとり、この理不尽で常に心変わりする世界と付き合っていく覚悟を持つことを。どんなに不合理、不条理と思えても、自然を不条理などと思う不寛容な心を持たずに、できるだけ前向きで生産的な行動をする様に心がけることしか、今は見当たらないからです。
いや、人生そのものが、たとえどんな時代であっても不合理・不条理なのだということなのです。
そして、それを素直に受け入れる覚悟の必要性です。私のような、凡人にとっては、人に従って受動的に歩めばよかった時代が少し長かっただけで、本来は私の様なものであってももっとより能動的に生きなければ、少なくとも考え方を変えて能動的に、生産的な発想を持って生きていく、それが当然に必要な時代がきているのだと、パンデミックの時代はそんな時代なのだとまず理解しなければなりません。

現状の中で、毎日少しだけ自分で能動的に考えたことを実行すること。
少しでも人の役に立つこと、昨日よりちょっとだけ違う生産的なことを・・・そんな積み重ねが大きく何かを生み出すかもしれません。
もちろん生み出す保証などありません・・・報われるなどとそんなことを考える必要などたわいのないこと、気まぐれな時代に考えても仕方がないのです。
より良い時代というのは、それは自己の考えようなのでしょうが、しかし、そうしていると、きっと誰かに良いことが現れるかもしれません。たとえ自分でなくても少なくとも誰か他の人であってもよいことが。
今日と違う明日の一歩を!そのためには、しっかりと感染防止に取りくんで、努力も怠ってはなりません。
パンデミックの渦中にいるとは、そういうことではないのでしょうか?
歴史はずっとそうだったのだと思います。

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