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分類の中に迷わぬ人生を

2022.02.11Posted by FOUNDER 市邊

ウクライナ問題などのスタンス、国家意識によりEUの中でもタクソノミー(TAXONOMY)という言葉が最近ニュースに出てきます。
耳慣れない言葉ですが、日本語で分類学、元々は生物分類学からの派生で、私は分類学に批判的(モノに区切りや線を引くことが大嫌いなタチで)であったために、なぜだろうと、人間の知能程度では区分・細分化をしないと理解ができない能力、それとも高等だから?というポイントのずれた疑問ですが、分類学の書物を調べて少しだけ学びました。結局は社会人類学に至り・・段々難解になり挫折しました。
・・・話を戻します。
少し毛色は異なりますが、学校でも社会変化に対応するための教育にシフトしようと、学ぶという受け身の教育ではなく、学力の3要素として分類を3要素に分けています。
1)知識・技能
2)思考力・判断力・表現力
3)主体生・多様性・協調力

しかし、分類といういわゆる「属性の問題点」は弊害があるのです。
例えば、世間を騒がせている意識の差異や文化へのリテラシーの問題でも、私はあまり分類とか属性は考えないようにしています。
なぜなら、それは偏見に繋がるからです。たとえば、一番多いのは、あの人は常識がない!と言う原因に帰結させるもの。それってご自分の立場を正当化したいだけでしょ? といつも思います。
ともかく、分類には必ず、原因と結果があります、それを求めます。
結果や原因が求められないと、どんどん一般化した属性に帰結しようとする。
そして、この常識というものは、自分の立つ位置をメジャーで強い立場として、対象者を異なるマイナーな属性に原因や結果を置いて糾弾しようと試みる。
わかりやすく、例えば森元首相の”女性の話は長い”という話だと、男女に二分した話だが、今どきLGBTQの時代にこの分類することが既におかしい。言ってみれば、そのようなLGBTQというカテゴリーわけすら偏見を生むだけで 日常でいちいちそんな属性の必要のない社会になれば差別は通用しなくなる。
昔は、片親だと就職に支障があったり、国籍で判断されたりしたが、今の時代、差し詰めGAFAMレベルの企業なら国籍すら属性にしていては面倒極まりないだろう。
しかし、国籍も(残念ながら今はまだ)明らかに属性、差別の対象になりそう。
そんな時代に、婚姻の有無、選択的夫婦別姓や家督、権利、あまりにも明治、大正、昭和な属性意識なことだ。コロナ禍で、大きな変革の流れにサーフィンのように洒落込んでいる人間と、なんとか既得権益の如く踏みとどまらないと溺れてしまう恐怖を抱きながら流れに恨みつらみをいいながら、過去の実績やそのヒエラルキーを印籠の如くかざしてるのはみぐるしい。
時代についていけないのは、ある意味実績を飾るには気の毒だが、今の時代はすでに通じる相手ではない。
教育がいつまでも学年単位で、大学を出たら新卒採用試験でと、ともかく同世代としか連まない、年がいったら同窓会とずっと同世代しか仲間がいなければ同年代の仲間がいる老人ホームに行くか孤立しかない。
できるだけリベラルで謙虚で、多様性と寛容で・・・生きていきたいものです。
これも分類で見たら哀れかもしれませんが、ともかく、時代を変えていこう。
100年ライフ! 常にアップデートを分類的ではなくホリスティックに、natural table に夢は尽きない!

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