遊びをせんとや生まれけむ

私が京都に生まれ、そしてこの厄介で高度な人間関係を愛する町が好きな理由として”遊び”というものがあります。

私はこのことがわからないと、ただひねくれて見えるだけでこの町を好きにはなれないと思います。実はひねくれてなんかおりません、高度な思いやりのある人間関係なのです。

そして、このひねくれて見えるところが全く同じ街がありました! それがパリでした。私がパリで楽しめる理由です(笑)。

このような”遊び”の織りなす歴史の風土が日本のノーベル賞の大半と関わりを持つ京都大学のとんでもない校風や市民の気質にも現れています。


平安時代末期に後白河法皇が編さんされた有名な梁塵秘抄に

 『遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぶ)れせんとや生(むま)れけん
     遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ』

という有名な今様(流行歌の意)があります。

ところで、なぜ”遊び”が重要なのでしょうか?それは、”遊び”は身体を鍛えるばかりでなく、脳も鍛えることがわかってきたからです。カリフォルニア大学精神科准教授のスチュアート・ブラウン医師によると、遊びは、他者を支配するのではなくフラットな関係を周りに広め伝染していきます。

そして”遊び”は共感をもたらし、前頭葉を発達させ、思いやりと平和主義を学ぶ。ということがわかってきたそうです。そして、彼によると、凶暴な犯罪者は幼児の時に”遊び”が少なく、人に対して共感ができず思いやりがなく暴力的衝動を抑えられない。という傾向が強いと分析しています。

”遊び”の体験があると社会的敗北があっても、困難を乗り越える対応力(レジリエンスresilience)ができるという。そして、逆に”遊び”の経験が少ないと社会的敗北から立ち直りにくいことがわかった。そうです。

”遊び”は、人格形成に必要で、人に楽観的な気持ちを持たせ、達成感を体験できる。そして、自主性を学び、それによって自己認識力をもつことができる様になる。それは創造性を育むことになり他者との共有感をも育てる。と言える。スチャート医師によると、”遊び”は危険なほど、気持ちやリスクのコントロールすることができる。

上記で書いた様に重複するが、創造性、自主性、自己認識を学び、人へのいたわり、困難への対応、独創性、単独生、共同性、社会性を学べるという。

”遊び”の5つの特徴(米スチャート・ブラウン精神科医)

  1. 明確な理由がない
  2. 何度も繰り返す
  3. 大袈裟な動作
  4. 自然発生的
  5. ストレスのない状態で行われる

動物は”遊び”を他の動物にボディランゲージにより誘う。例えば、愛犬は、前足で軽く人を叩いたり掻いたりして飼い主を”遊び”へ誘う。そして”遊び”は、時には意外な動物をも誘う。人間も他の哺乳類と同じ脳組織を持っているので、あらゆる哺乳類などと遊ぶことができます。

この”遊び”という幼児性がどれほど重要な影響を人に与えたか、人類の進化において解き明かされてきた。 それは、ヒトが同じヒト科ヒト族のチンパンジー、ボノボともはっきりとした違いは、言葉や時間を持つなどの異なる成長過程での進化の理由にあるからなのです。ちなみに、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボはヒト科でサルではありません。

言葉は意味を持ち、それにより物事と現在を共有することが可能になります。言葉は未来を想像し、創造することができます、また言葉は記録に残せます。すなわち、時間は未来を描き、過去を認識して記録に残せます。今、With Corona の時代にあって、人はネットワークの大きな恩恵によって、これらのコミュニケーションを利用しています。

移動する時間や会議室も必要がない、非常に効率的、経済的なコミュニケーションが可能になります。ヒト族のチンパンジーやボノボと人の違いは、ヒトは大人になっても”遊び”をしますが、他のヒト科の動物は大人になると、ヒトほど”遊び”をしません。

元々、ヒトは大人になってもほとんど幼児のチンパンジーの容姿とそっくりのままです。チンパンジーと比較すると、ヒトは胎児や幼児の特徴を持ったまま成長しましたが、チンパンジーは成熟すると顎が出て全体に毛も生えて正常に二次性徴したというわけです。この様に、生殖機能が成熟しても容姿などが大人になりきらない成熟の形を『ネオテニー』(Neoteny 幼形成熟)と言います。

わかりやすいのは、ウーパールーパー(アホロートル)で、外見上はおたまじゃくしのような幼生のままですが生殖機能は成熟して可能なサンショウウオの仲間です。

つまり、ヒトがチンパンジーと異なるのは、成長組織を阻害するように進化を止めるなんらかのプログラムが働いたからだということができます。オランダ・アムステルダム大学教授で解剖学者のL・ボルクは1926年に、ヒトのように成長速度を遅らせた生物が言葉や知性を持つようになったのはネオテニーのせいではないかという、胎児化説を唱えた。

アメリカの人類学者M・モンターギュは、人間の身体は他の類人猿の身体よりも弱体で子供のままであるが、そのことが知能に特別有効な社会的な可塑性を持たせたのではないかと考えた。

彼は「子供のままでいることのもたらす人間文化の可能性」として、形態にとどまらず、ヒトの行動にも大きな影響を与えていることを明らかにしています。その特徴は、遊び心、好奇心、感受性、友情、学習性、知識欲、感受性、学習意欲、寛容性、創造性、想像性、柔軟性、愛の希求、共感、共有、楽天性、強力性、平和主義、ユーモアなど”遊び”で述べたままなのです。

これらの人間的な特徴は要するに子供の特性であるということです。幼形成熟が、進化の過程で淘汰されて残ったものだとしたら、母子関係が愛の希求の必要性からか、平和主義の必要性からでしょうか、それとも性の淘汰からでしょうか。少なくとも、最近よく言われることに、絶滅危惧種はほとんどが猛獣、猛禽類です。犬や猫は人間と共存して生き残り、狼や虎は絶滅の瀬戸際です。

マッカーサーは、米国の上院議会の委員会で、「日本人は未だ生徒の段階で12歳の少年だ」と証言したのは有名ですし、キッシンジャーも同じようなことを言っているらしい。おそらくトランプもそうなのだろうか?と思えてきますね。彼らは、日本人の平和主義の原点がネオテニーだとわかっていないと言えるかもしれませんね。

日本のアニメが世界的に喜ばれるのはおそらく、キャラクターの容姿がネオテニーのせいでもあると思います。パンデミックとはいえ、ゲームばかりせずに、何とか早く外で遊ぶ時間を幼児体験の中で増やす必要が絶対にありますね。でないと、現在のテクノロジーによるネットゲームは、身体を使う遊びの長所をなくしてしまいます。

FOUNDER 市邊

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